ヒバクシャ ドキュメンタリー映画の現場から(3)
ヒバクシャ ドキュメンタリー映画の現場から(2)の続きです。 私が、↓この本
を読んで最も感じたこと。
それは、「劣化ウラン弾も、被曝も、自分とは無関係な世界の出来事ではないんだ。」ということです。
もちろん、この世界で起こっている何事も、
「自分とは無関係ではないし、無関係と考えてはいけない。」と、これまでも思っていました。
でもやっぱり、
「イラクで劣化ウラン弾に苦しむ子どもたちの問題は、アメリカがもたらしたもので、日本人である私が責任を感じる種類の問題ではない。」と、どこかで思っていた気がします。
それが、この本を読んで、
「劣化ウラン弾は、核のゴミなんだ。」 ということを、明確に認識することができました。
『劣化ウランは核燃料製造の際に大量に発生します。そのため世界中で劣化ウランが溜まり続けています。
(中略)日本も六ヶ所村に日本原燃のウラン濃縮工場が稼動中ですから、既に1万トンほど溜まっています。
(中略)
全世界で既に100万トン以上の劣化ウランが存在し、毎年数万トンずつ溜まり続けています。これらは「核のゴミ」に他なりません。』
『大量に溜まっている劣化ウランの転用先は、貯蔵された劣化ウランの管理費用が膨大になることから、米国などにとって大きな関心事でした。しかし放射性物質である大量の劣化ウランの転用先はそうそうあるはずもありません。
銃砲弾に転用することを考え出したのは米国でした。』
『劣化ウランが最初に大量に使われたのは1991年の湾岸戦争の時でした。
(中略)
2003年イラク戦争では、従来型の劣化ウラン弾に加え、地中貫徹型爆弾も大量に使われ、総計2200トンもの劣化ウランがイラクに撃ち込まれたと推計されています。』
核のゴミ問題には、米国だけではなく、日本も頭を悩ませています。
米国が、核のゴミの捨て場所としてイランを使っているのだとしたら、それは、原発により発生した電力を利用している私自身にとっても、決して無関係とは言えない出来事なのだ。
ということを、改めて認識しました。
この本を読んで、劣化ウラン弾の問題以外にも、「被曝は人ごとではない」と感じる点が、いくつもありました。
ヒバクシャ ドキュメンタリー映画の現場から(2)に、ちらっと書きましたが、ハンフォード核施設周辺の農場で採れた農産物は、日本にも輸入されています。
他にも、ヒバクシャ―世界の終わりにでは、
・チェルノブイリから10年後、北海道と東北で、乳ガン死亡者数が激増している
・日本の乳児死亡率が、中国の核実験と同期して上下している
といったことが語られています。
平和のためとかそういう視点でなく、健康のこと、環境のことを考えてみても、日本だけじゃなくて、中国や北朝鮮にも核を捨ててもらうことが必要なんだ。
世界中から核がなくなることが必要なんだ。
と思います。
日本にも原発があります。
六ヶ所村では、核燃料再処理施設の本格稼動が始まろうとしています。
原発や再処理工場の危険性。 「核のゴミ」をどう処理するのかという問題。
これらの問題は、日々電力を使用している私たち一人一人にとって、無関係な事ではありません。
今、自分には何が出来るのか?
それを、一人一人が考える必要があるのではないかと思います。