ムックの呟き

5日間会社を休むほどの月経困難症をキッカケに子宮腺筋症(子宮内膜症の一種)と診断されました。色々と考えた上で西洋医学による治療は行わず、漢方薬と養生で乗り切りましたー

「正しい戦争」は本当にあるのか(5)

自分の頭を整理するため、
から、印象に残った部分を引用するシリーズ。第四弾です(>_<) 『5.日本の平和主義は時代遅れなのか』より。 『平和主義といっても、大きく分けて、戦争で兵器を制限すべきだっていう考え方と、戦争そのものを否定する考え方があります。(中略) 前者、戦争についての制限とか兵器の制限でいえば、そりゃ必要だって考える国が多くなったと思います。戦争の規模がきわめて大きくなってしまったために戦争のルールをさまざまに設けようとする。そうしたルールを作って戦争の被害を食い止めようとする考え方は、現在の世界では広く受け入れられていると思います。 (中略) 戦争そのものの否定はこれとまた違うもので、いわゆる平和主義っていうのは、こっちの方でしょう。伝統的には宗教をベースにしたものが多くて。(中略)しかし、異なる宗教に対する戦争が正当化されることも実に多い。 で、現代の社会思想というべき自由主義社会主義でも、戦争の否定が大きな柱になっていました。(中略) 戦争を否定するはずの自由主義社会主義でも、自分たちを守る戦争は強く肯定する。(中略) 戦争の否定は武器の放棄につながるとは限らないんですよ。戦争が違法だから、その違法な戦争を起こすやつは武力で退治すべきだってことになる。 (中略) 武力を放棄する平和主義っていうのは、平和主義のなかでも一番極端です。(中略)この考えは、やっぱり戦争に負けて、もう戦争はこりごりってとこから広がったんでしょう。』 『ぼくは日本の憲法は、日本人が主体的に作ったものだとは思いません。同時に、この憲法を変えることが賢明だとも思わないです。』 『アメリカが一方的に押しつけた憲法だって言っちゃうと、日本人が作った憲法草案と、それがもたらしたインパクトを無視する議論に聞こえるかもしれない。しかし日本人が作った草案にしたところで、戦争で日本が負けて、軍部と天皇による支配が破られなければ出てきようもなかったわけでしょ。(中略)その参加を可能にした条件もひっくるめて、やはり敗戦という状況なしには考えられないんです。』 『では外から見たときに日本国憲法ってどういう役割を持っていたのか。それはもう、軍国主義の排除です。(中略) 日本は、軍国主義だから民主化が必要になったんだ、侵略したからこそ武装解除憲法9条も必要だったなんて、そういう解釈があることを知っている日本人はどれぐらいいるんでしょうか。平和日本を貫くため、アメリカに抗して憲法を守ってきたって言う人は多いでしょうけどね。それにいまだと、日本は戦争に負けたから敗戦国として不当に屈辱的な条件を飲まされた、戦争に負けただけでそんなことをするのは正当じゃないなんて、そんな議論を受け入れる人も多いんじゃないでしょうか。どっちの議論も、実は戦争責任って問題には目を向けてないんです。(中略) 日本はただの敵国ではなくて軍国主義国であり、侵略者であり、多くの人々の生命、人権や自由を奪う悪役だと見られていることには目を向けてないんでしょうね。もちろん、その旧連合国の側にはそれなりの日本への偏見もあるし、あっちが正しいとは限らないんですが、それにしても日本の内外ではすごいギャップがあります。』 『日本の平和主義の特徴にちょっと戻ってみましょうか。ここで平和主義っていうのは、憲法9条を支える考え方っていうことになるんでしょうけど、基本的には2度と戦場になりたくない、武装しないことで戦争にまき込まれることを避けようっていう考え方だったと思います。 (中略) ぼくは、この平和主義が偽善だったとは思わない。というのは、戦時中に海外に兵士として行った人間は少数だったからです。多くの人間はむしろ日本の本土に残っていたわけで、その人々にとって戦争とは、なによりも軍事的な社会統制であり、経済生活の厳しさであり、空襲だった。(中略)そして、戦争で自分たちが、つまり非戦闘員である自分たちが被害者にされるっていう経験が、戦争のイメージの原型になる。(中略) ただここで抜け落ちていたものが間違いなくあるわけで、そのひとつが戦争における犠牲者として、日本人しか考えてないことですね。たとえば中国とか、あるいはインドネシアでどれだけの人が日本軍の行動によって死んだのかということはほとんど語られていない。』 『ぼくは学生運動の世代よりあとに生まれたので、学生時代には反戦平和って言ってた人が平和主義の虚妄なんて言い始めるのをイヤというほど見せつけられました。随分簡単に考えを変えるんだなとむかしは思いましたが、考えてみればこの人たちは前もいまも戦争そのものは見てないんですよ。あるのは観念だけで、それがひっくり返っただけ。 何度も言いますけど、平和っていうのはそんな観念よりも具体的な、目の前の戦争をどうするか、戦争になりそうな状況をどうするかって問題なんです。平和主義を守るか守らないかってことよりも、具体的な状況のなかで平和を作る模索が大事だって思ってます。