ムックの呟き

5日間会社を休むほどの月経困難症をキッカケに子宮腺筋症(子宮内膜症の一種)と診断されました。色々と考えた上で西洋医学による治療は行わず、漢方薬と養生で乗り切りましたー

ハイコンテクストなコミュニケーション、ローコンテクストなコミュニケーション

アメリカの文化人類学者である『エドワード・T・ホール』という人は、文化を、ハイコンテクスト文化ローコンテクスト文化の2種類に分ける、という発明をしたらしい。

ここで言う、コンテクストという言葉は、

一般に、コンテクスト(あるいはコンテキスト)は、日本語では「文脈」と訳されることが多いが、他にも「前後関係」、「背景」などと訳される。コミュニケーションの場で使用される言葉や表現を定義付ける背景や状況そのものを指す。例えば日本語で会話をする2者が「ママ」について話をしている時に、その2者の立場、関係性、前後の会話によって「ママ」の意味は異なる。2人が兄弟なのであれば自分達の母親についての話であろうし、クラブホステス同士の会話であればお店の女主人のことを指すであろう。このように相対的に定義が異なる言葉の場合は、コミュニケーションをとる2者の間でその関係性、背景や状況に対する認識が共有・同意されていなければ会話が成立しない。このような、コミュニケーションを成立させる共有情報をコンテクストという。

という意味合いで使われているようだ。

つまり、ハイコンテクスト文化とは、共有情報を多く持つ人たちで構成されている文化。

そして、日本は、ハイコンテクスト文化に分類されるそうだ。

たしかに、『空気を読む』という言葉は、ハイコンテクスト文化だからこそ生まれたもので、多様な背景を持つ人たちで構成されるローコンテクスト文化では、「空気を読め。」なんて言っても通用しないと思われる。

そんな、ハイコンテクスト文化に分類される日本だけれども、これからは、徐々に、ローコンテクスト文化寄りになっていくだろうし、そうならざるを得ないと思う。

ハイコンテクスト文化は、共通の背景に裏打ちされている文化。

でも、現代のように、交通網やインターネットが発達し、簡単に異なる文化を持つ人々と交流できるグローバルな社会においては、共有情報を持たない相手とのコミュニケーションも増えてくるだろうし、

また、同じ日本国内であったとしても、人々の生活は多様化しているから、そういった意味でも、共有情報を持たない相手とのコミュニケーションが増えてきていると思う。

ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化、それは、どっちが良くて、どっちが悪い、ということではなくて、両方とも、良い点(=メリット)、悪い点(=デメリット)がある。

そのような時代背景も踏まえて、これから、というか、今、重要になっているのは、、

ハイコンテクストなコミュニケーションと、ローコンテクストなコミュニケーションを使い分ける能力かもしれない、と思った。

この間、偏った持論を展開して、自衛隊のお偉いさんを首になった方なんかは、

モロに、ローコンテクストなコミュニケーションが取れない人の例じゃないかと思う。

ローコンテクストなコミュニケーションでは、

多様性を認めるということが必要となってくる訳で、それができないようじゃ、

やっぱ、世界では通用しないよね。