ハイコンテクストなコミュニケーション、ローコンテクストなコミュニケーション
アメリカの文化人類学者である『エドワード・T・ホール』という人は、文化を、ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化の2種類に分ける、という発明をしたらしい。
ここで言う、コンテクストという言葉は、
という意味合いで使われているようだ。
つまり、ハイコンテクスト文化とは、共有情報を多く持つ人たちで構成されている文化。
そして、日本は、ハイコンテクスト文化に分類されるそうだ。
たしかに、『空気を読む』という言葉は、ハイコンテクスト文化だからこそ生まれたもので、多様な背景を持つ人たちで構成されるローコンテクスト文化では、「空気を読め。」なんて言っても通用しないと思われる。
そんな、ハイコンテクスト文化に分類される日本だけれども、これからは、徐々に、ローコンテクスト文化寄りになっていくだろうし、そうならざるを得ないと思う。
ハイコンテクスト文化は、共通の背景に裏打ちされている文化。
でも、現代のように、交通網やインターネットが発達し、簡単に異なる文化を持つ人々と交流できるグローバルな社会においては、共有情報を持たない相手とのコミュニケーションも増えてくるだろうし、
また、同じ日本国内であったとしても、人々の生活は多様化しているから、そういった意味でも、共有情報を持たない相手とのコミュニケーションが増えてきていると思う。
ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化、それは、どっちが良くて、どっちが悪い、ということではなくて、両方とも、良い点(=メリット)、悪い点(=デメリット)がある。
そのような時代背景も踏まえて、これから、というか、今、重要になっているのは、、
ハイコンテクストなコミュニケーションと、ローコンテクストなコミュニケーションを使い分ける能力かもしれない、と思った。
この間、偏った持論を展開して、自衛隊のお偉いさんを首になった方なんかは、
モロに、ローコンテクストなコミュニケーションが取れない人の例じゃないかと思う。
ローコンテクストなコミュニケーションでは、
多様性を認めるということが必要となってくる訳で、それができないようじゃ、
やっぱ、世界では通用しないよね。